たろうの次に行ったのはすこし南下して岩手県山田町。ここも津波で大きな被害があった所です。1日目の段階で山田町には入っていたけれど、暗くなっていたので走っている最中に見つけたホテルで宿泊。
しかし、ナビがポンコツすぎる!!いつから更新してないが知らんが、何度も「ルートを変更しました」って...
三陸道を自分で案内しておいて入ったら森の中ってどういうこっちゃ?
でもその分、道が新しく作られてつなげられたのかなってわかる。道やトンネルも綺麗な所が多く新しく作られた感がわかるのでそれだけ破壊的だったのもわかりました。今もまだ復興支援道路として工事が続いてるところがあります。
ホテルの男性に聞いたら山田も徐々に綺麗になってきているから、どこかに寄るというより車で見て回る感じかな?とのこと。
街が静か...
翌朝7時くらいにちょっと車で戻って見ました。道路も綺麗だし道沿いにドラッグストアなどあるけど、「仮設商店街」の看板と共に並んだプレハブ小屋が未だ地震の爪痕を感じさせます。街全体が寂しい感じ。
その後は「奇跡の一本松」を見に宮城県に入って、陸前高田市へ!
奇跡の一本松とは?
地震と大津波により死者、行方不明者2,000人近くをだし、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。約7万本と言われる高田松原もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。
津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。しかし、復興のシンボルとして今後も後世に受け継いでいくために、モニュメントとして保存整備することといたしました。
参照:陸前高田市HP
陸前高田市へ!
向かう途中で「応急仮説住宅」と書かれた標識を見たり、釜石市を経由する際に沿岸部に海の方を向いてるめちゃくちゃ大きい釜石大観音の像が見えます。
一体どんな気持ちで津波が来るのを見つめていたんだろうと運転しながら思ってしまいました。そんな事を思いながら...陸前高田市に到着してビックリ!!
画像がすごく悪くて申し訳ないですが、パッと見、これだと街がある感じがしませんか?
私自身もパンフレットでこの図を見ていたので、頭の中では街らしい街が存在するものだと思い込んでいました。
360度工事中
一本松の駐車場につくと、そこは工事のど真ん中。
見渡す限りが工事中。大型トラックがバンバン道路を走っていて、工事の砂埃か、トラックの排気ガスなのか思い込みなのかなんだか空気がよどんでいる感じ。
街探索どころの話じゃない。
一本松までの行く途中に工事中の車を誘導しているお兄さんにアホな質問かもしれませんが、わからなかったので聞いてみました。
一本松の周りも水門やら何やら全てが建設中。
2011年からもう7年半ですよ。7年かかってもまだ完全復興には程遠い、一体どれだけの破壊だったのかと思うと1本松に向かう途中で本気で涙が出てきそうになりました。
食堂で話を聞けた
駐車場にある岩張楼(がんばろう)食堂でがっつり一本松定食をオーダー。
そこで被災前の写真とか見せてもらいました。
そこで働いているおじさんも地震後に家に帰って30分後ほどで津波がきて、家の一階部分が崩壊。ほぼ全壊状態だと言っていました。街が丸々消えたとも言っていました。
本を撮影したので画像が...一番上が震災前の街が存在していた時。真ん中が全て流されたあとです。一番上の赤丸は7万本あった松の木。それがすべて流されて一番下の奇跡の一本松だけ残りました。
本当に色々と衝撃的でした...
そういえば、はじめてトラックが道端で売っているのをみたのですが、これは一般人が購入するのでしょうか??しかも一千万近いっていう...
ガイドの鈴木さんが言っていたように「一本松」のレプリカが2億円かかったのかは定かではありませんが、あの松が復興支援の1つになることは間違いないのでレプリカでも十分だと思いました。
宮城県編は涙が溢れた気仙沼市南三陸町のPart2へ続きます。