岩手〜宮城の三陸海岸沿いは工事だらけで、臨時で建てられたのであろうプレハブ小屋のようなお店も多かったので震災後というのがよくわかりました。でも相馬〜南相馬あたりはのどかな田舎風景が広がっていて街もお店もちゃんとしているので一見すると震災後というのがわかりませんでした。
南相馬から6号線を一気に南下
南相馬からちょっと走ると掲示板に「17km先、二輪、軽車両通行禁止」という標識がでてきました。
もう一度地図を載せます。
道の駅南相馬が原発約30km圏内なので17km先となると、帰還困難区域に指定されている浪江町あたりかなと思いながら運転。
※ここからは車から急いで写真を撮ったものなので画像が荒くなります。すみません。
人がいない...
最初は結構のどかな風景から始まるんです。
でもなんとなく閑散とした感じがしませんか?車は通っているけど、周りのお店は全くやっていないし、歩行者も1人もいません。
そうこうしてる間に、今度は「二輪、原付、軽車両、歩行者通行禁止」と「帰還困難区域」看板が目に付き始めます。
このファミマを見たあたりからもうドキドキしています。
人の手が入らないと草がボーボーになっていて、この写真だと中がわかりませんが、そのまま逃げたかのように雑誌とか全てそのままでラックが倒れているのが外からでもわかるんです...
マスクをした警備の人たちがちらほら。空気が重くなってくる。
止まっていいのかわからないのでとりあえず車を走らせます。
放射線量をはかる小さな電光掲示板が何度もでてきます。
個人宅であろう家の入り口は一軒ずつガラガラ(?)で閉鎖されています。
人だけが消えてる...
福島第一原発は全く見えず、この辺にあるんだろうなというくらいしかわかりません。ただその近くにスクリーニング場があって本当に怖かったです。
少しだけ街が再開?
富岡町の端辺りでなん店舗か開店しているコンビニがあって人が外にいるので、車から降りても大丈夫そうなのがわかります。
ちょうど空腹だったのもあり、6号線沿いにある「満留賀」さんでランチ。
かなり中が綺麗だと思って聞いたら、今年の7月、ちょうど私が来店した2ヶ月前に再開したのだそうです。その地域は他の所より早い段階で「避難指示解除準備区域」に指定されたのでまた始めることができたと言っていました。
ちなみに、私は知らなかったのですが「満留賀」は東京にもあるお店で、そこで修行して名前をもらったそうです。結構繁盛していました!そば大好き!おいしかったです。
再び逆走
一気に6号線を南下していわき市あたりまで抜けました。いわき市も津波の被害がひどかった所です。とりあえず6号線を南下(青線)したものの、あっけにとられた感じで抜けてしまったので、今度はちゃんと目に焼き付けようと思い、6号線を北(赤線)に引き返しました。
今度は浪江町から飯館村に入っていく114号線にのって福島駅に向かいます(赤線)。ここは国道で下道なので高速代はかかりません。途中ポンコツナビのせいで違う所に入ってしまい、作業をしていた男性に114号線は今は開通しているのか聞いてみました。
なんていい人、好き。笑
ていうかおじさんマスクもせずに普通に外に出歩いていていいのかい?
私はというと、なんとなく怖くて窓もあけられず、冷房していいのかもわからず内気循環にしてました。気持ちの問題だと思いますがめちゃくちゃ息苦しかったです。
114号線が怖すぎる...
結果から言うと、私は6号線より114号線がすごく怖かった!6号線はマスクをした人や車が行き交ってるので、まだ人の気配がします。でも114号線は誰もいない...
陸前高田とか南三陸みたいに津波で被害があった所は何もないのでその破壊力に呆然とする感じでした。
でも原発の場合は残っているけど誰もいないっていう、どこか違う世界に迷い込んだみたいですごい恐ろしくて「すぐにでもその場をさりたい!」っていう恐怖みたいなものがでてきました。終始鳥肌がたっていて、114号線に入ったとき全然車がいないし、人の気配も街の息吹みたいなものも感じないからすごい怖かった。でも車が見えたときとかすごいほっとするの。1人だったし、ちょっと夕方だったっていうのもあるんだけど。
確か年間積算線量は20ミリシーベルトだったと思います。廃校になってる小学校か中学校か忘れたけどもうすっごい怖すぎて思い出せない。
104号線が怖くて怖くて早く抜け出したくてすごいすっ飛ばしてた。笑
二俣町に出るとやっと道路を普通に歩いてる人や、整備された道や綺麗なお店がでてきて、そうそう!これが町だよ!って本当にホッとしました。
この時、冷や汗なのか全身ビッショリで自分でもひきました。
震災にあわれた方の想い
岩手→宮城→福島と2泊3日かけて震災の軌跡を追ってきました。そんな短い期間で何がわかるんだよって、本当にそうだと思います。でもたった2泊3日だけなのに気分が沈みすぎてなかなか寝付けなく、食欲もでませんでした。2日目南三陸町から仙台に行った時も、大都市ぶりに数時間前自分がいた世界とあまりにも違くてめまいがしました。
114号線を走っていた時に猿を見かけました。その時、確か飼っていた犬や猫など動物は置いていかないといけなかったんじゃなかたっけ?と思い出しました。
そのことで誰かと自分の犬を置いていけるかって話をしたことがあるんです(私も実家の犬をめちゃくちゃ溺愛しているので)。その時その人は置いていくなんて無責任でかわいそうだから自分も残ると言っていたように思います。でもあの街を見たら自分1人で犬と一緒に残るなんて絶対できないし、置いてきた人たちを無責任だと責めることもできないと思いました。
人間として冷たいという人がいるなら是非あの状況を見て欲しい。1人で。
あの震災がもたらしたものはって、最後に言おうとしてたけど、表現できない自分がいます。私は経験してないから感じることはできても、どうやっても本当のところはわからないのです。
走行距離は約700km。車で走るだけなら頑張れば1日で周れますが、どこかに寄ったり話を聞いたりすると数日はかかりますね。
福島駅に着いた瞬間どっと疲れがでたのがわかりました。なんとなくずーっとモヤモヤしていた気持ちがあって、そういう時いつも話をする友人に電話して声を聞いたら落ち着きました。何も体験してない私ですら数日でこうなのだから実際に体験した人は未だに戦っていると思います。
彼らのために私ができること、なんておこがましいことはいいません。私もいつ何が起きてもおかしくない状況下に置かれていることを忘れずに、大切な人にはちゃんと想いを伝え、毎日を精一杯生きなければいけないと思わされました。
2泊3日話をしてくれた人たちに心から感謝して震災の軌跡を辿る旅を終え通常の旅に戻ります。ありがとうございました。絶対に忘れません。
また訪れます。必ず。
※人から聞いたことや自分で見たことを時間差で書いているので多少の違いはあると思いますが、少しでも震災の怖さや影響を知っていただければと思います。
9/22
宿泊費:6500円/食費:1376円
ガソリン代:5721円/高速代:1190円
洗濯代:200円
合計:14,987円
全体の合計:214,185円
つづいては自転車でどこまでも行った岡山県編です。